山田康平×関口正浩「余りをみた」
AWASE galleryでは、山田康平と関口正浩による2人展「余りをみた」を開催いたしました。
AWASE galleryにとっての柿落としの展覧会でした。
『余りをみた』 I saw what was left
このたび、新しく「AWASE gallery」を立ち上げることとなりました。
その柿落としとして、関口正浩(b.1984-2022)、山田康平(b.1997)の二人展を開催します。
関口さんの作品を初めて見たのはInstagramが最初でした。
そのあと、作家がもう亡くなられていることを知り、そして、亡くなられた後の、関西で開かれた個展にも足を運びました(biscuit gallery pressでその時の文章を書いていますので興味があれば是非読んでみてください)。
初めて展覧会で作品を見たとき、自分と関口さんの絵は似ていると感じました。
当たり前ですが、ここで言う「似ている」は「同じ」ではありません。
けれどもし、自分の作品と関口さんの作品のあいだに何かしらの関係があるとすれば、どこか気まずさのようなものもある気がしています。それは何か「同じ」というよりは、「似ている」という言葉の方が捉え方がジワジワとしていて、緩やかだと思っています。
それは、かつて自分も似たようなことをしていたかもしれなくて、それは成功というより、むしろ失敗に近いものだったような…。
だからこそ、この「似ている」という感覚には、どこか共犯的な気持ちがあって、「しょうがなかった」と、少し笑えるような感覚です。成功をお互いに共有するのも一つの豊かさだと思いますが、失敗の共有というのも違う豊かさがあるように思っています。
自分は多分、絵を描きすぎています。
すべてのことが自分と関係しているように思えてしまっていて、それがとても嫌です。そして今回の展示では、何かお互いの類似するような形式を上げて、貫くことが効果的じゃないように感じています。
展覧会タイトル『余りをみた』は、関口さんの絵具の皮膜のような、少しブヨブヨとした質感から着想を得たものです。ただ、そこに限らず、もっと広い意味で、こぼれ落ちるものや残されていくものへのまなざしを含んだ言葉として名付けました。
しかし展覧会としては、関口さんの絵と、自分の絵がただ並んでいます。
そこには当然、何かしらの関係が生まれるでしょう。
例えばそれは色であったり、線ではなく面で扱うような意識、画面の構成方法。しかし自分はまだ、正直に、関口さんの作品について多分何も分かってない。けれど、それを放り出すのではなく、わからなさを保ったまま、考え続けていくことはできるはずです。
何かをまとめあげることや、貫くことも一つの手段として持ちつつも、様々な関係することもしないことも同列に、ゆるやかなネットワークのように受け止められる場を作っていきたいと思っています。何かを編み直すような感覚で。
ここはそんな場所を目指していきます。